差し出された手に掴まって
受け入れるのは仮初めに過ぎない愛
与えられるであろう自由は
今とさほど変わらぬ牢獄
皆に等しく売る一晩と
一人の客に買われる永遠
いったい何が違うだろう
越前がいろいろ悩んでいるのは知っていた
夢人に名前を教えてもらった夜、いつも冷静な態度を崩さないのに珍しく動揺していたから
すぐ後に手塚から身請けを申し出られてと聞いたけど、俺は受けろとも断れとも言わなかった
越前の人生だ
自分で決めることであって俺が口出しすることじゃないと思う
「菊月さん・・・今いいですか」
「ん〜?どうした」
吉原に灯りがともり始めにわかに色めきだつ夕刻
数日ぶりに石田屋さんが登楼するということで準備をしていた最中、越前が真剣な面持ちで話しかけてきた
まだ灯りがともって間もないからまだ大丈夫だろう
部屋の中に招き入れて向かい合うように座らせる
「すみません、忙しいのに」
「いんや、まだお越しにならないだろうし大丈夫」
「じゃあ・・・聞いてもらっていいですか」
そういうと越前は一度大きく深呼吸してから俺の顔を見た
しっかりと決意をしたような
そんな表情だ
「手塚さんからのお話・・・受けたいと思います」
「・・・・・・そっか」
幸せになって欲しい
心からそう願う
ここから出てしまえば今まで当たり前だったことが当たり前じゃなくなる
越前は吉原で生まれたと以前忍足から聞いたことがあるから、俺より辛いことが多いだろうけれど
きっと手塚さんなら越前を支えてくれる
だから元は他人だけど大切でかわいい妹を安心して任せることができた
「幸せになれよ」
「はい・・・・だから菊月さんも「越前−!石田様ご登楼だよ−!!」
一階からの声に話の腰を折られる
しかたない、これも仕事のうちだ
慌ただしく階段を駆け下りていく越前を見送り俺も支度を再開した。
数日ぶりに目にした石田屋さんはいつもと変わらぬ優しい笑顔で迎えてくれた
俺は隣に腰を下ろしあいさつをする
「お久しぶりですね。最近来られないのでどうなさったのかと心配していたんですよ」
「すまない。実は一昨日会いに来ていたんだけれど先客がいると聞かされてね」
「いらしていたなら一声かけてくださればよかったのに。次からは誰がきていても若旦那様を優先いたしますよ」
嬉しいことを言ってくれるな、なんて笑っている石田屋さんをよそに、俺は一昨日と聞いて目を伏せそうになる
一昨日といえば夢人が来ていた日だ
そしてそれ以来夢人の姿を見ることはなかった
約束は果たしたしもうここへ来る理由はない
俺だってすでに願いは叶ったんだから別に気にかける必要もないんだろうけど
手塚も姿を見せないがそれは越前を落ち着かせるためと考える時を与えるため
じゃあ俺に与えられたこの時は何なのだろう
何を考えれば・・・・・
「・・・・・・月?」
「は・・・はい?」
「どうした。具合でも悪いのか」
「あ・・・いえ」
またやってしまった
最近・・・・というか夢人のことになると仕事の最中でもいろいろ考え込んでしまう
仕事に差し支えるのは相当問題だ
とにかく今は話を聞こう
夢人のことは今悩んでも答えが出ない気がする
「それでね、父に菊月を身請けしたいと話したんだ」
「えぇ」
「やっぱり反対されたけど俺としても絶対に譲れなかったからね。何日もかかってしまったけど説得できたんだ」
だから中々会いに来られなくてと嬉しげに語った
嫁ぐべきだろう
自分のことじゃなかったらきっと両手を挙げて賛成している
俺が逡巡しているのには理由があった
俺はどれだけ優しくされてもこの人を客以外に感じることができない
だからこの人の元でうまく生きていけないだろう
それでも雪の夜になくしてしまったものを取り戻せるならば
俺は残りの人生を捧げよう
偽りでもあの暖かな温もりを与えてくれるなら
「分かりました。お受けいたします」
「そうか!!」
「ですが今少しお時間をいただけませんか」
「あぁ、時期は君に任せるよ。じゃあ今夜はゆっくり休むといい」
石田屋さんは俺の髪を梳きまた来ると言い残して天華を後にした
きっと旦那様とその奥方様に報告するのだろう
時期は任せると言われたもののこれまで散々待たせたのだからあまり引き延ばすわけにもいかない
越前の身請けが済んだらすぐということになりそうだった
「嫌なんですか」
「え?」
部屋に下がるなり越前が俺に問いかけてきた
「座敷の前を通った時に身請けの話が聞こえてきたんす。でも菊月さん全然嬉しくなさそうで」
愕然としている中越前はなおも続ける
夢人が来なくなった日から元気がないと
自分ではいつもと同じように振る舞っているつもりだった
無駄な努力だったけど
「考えてください。夢人さんのこと。他の客と何が違うのか」
一人で考えさせたかったのか、他に仕事があったのか
俺を残して部屋を出て行ってしまう
これじゃあどっちが姐か分かんないな・・・・
しっかりしなければ
『だから菊月さんも』
あのとき越前が言いたかったことは分かっていた
幸せになってください
だと思う
・・・もう分からなくなってしまったかもしれない
幸せを感じなかったと言えば嘘になる
それでも、あの日から俺の時間は止まったままだ
どうしたらなれるんだろう
不二周助に会えば?
復讐を諦めれば?
それとも他に方法があるというのだろうか
『考えてください。夢人さんのこと』
もしかしたら・・・・俺は・・・・・
ぼんやりと外を眺めながら
夜が明けるまでずっと考え続けたけれど
もう少しだけ時間がかかる気がした



