ひとつの小さな願いは

淡く光る月とともに抱いていた思いを気付かせた

この街で生きる事を決めた俺にとって

それが自分を苦しめるだけなのは分かっていたはず

想うことが

こんなにも






苦しいなんて


















お礼に来る
と言い残して1日も経たないうちに夢人は俺に会いに天華に来た

越前から聞いた時には夢なんじゃないかとも思ったけど本当みたいだ






着付けを終えて座敷に入った途端、夢人がこちらを凝視する




一瞬なぜだろうと思ったがすぐに考えつく

そう言えば座敷で会うのは初めてだった
前回は寝間着だったしその前は今の格好よりずっと軽装だ
だけどさすがにいたたまれなくなって何か変?と聞く
聞かれてやっと自分が凝視していたことに気がついたのかすぐに目をそらした



「こんなに早く来るなんて思わなかった」
「ならこない方がよかった?」



どのくらいの量の仕事があるのか知らなかったからという意味なのに、少しむっとしたように返された


愛想のかけらも感じられない夢人に苦笑する


せっかく綺麗な顔をしてるのにもったいないとつくづく思う
笑えばきっと輪をかけて綺麗になるだろうに



「なに」
「いんや、綺麗な顔してるなーと思って」
「それはありがとう」
「お前・・・ほんとにそう思ってる?」



さぁ、どうだろうね
と夢人は答えをはぐらかした

その様子だと絶対ありがとうなんて思ってないんだろう
褒めているのだから嬉しそうな顔ぐらいしたらいいのに


確かに『花魁の言葉に誠なし』とはいうけれど今の言葉は紛れもなく本心だ



「お礼なにがいい」
「うわ、案外せっかちなのな」
「そのためにきたんだから」
「まぁそうなんだろうけどさ」



まるでそれ以外目的がなかったかのような物言いにほんのりとした寂しさを感じた







そこではっとする



なぜ寂しいなどと感じたのだろう?


相手は客
自分は金で買われた商品


それ以上でも以下でもないのに






なぜ?









「菊月?」
「え・・・あっごめん!ぼーっとしてた・・・」
「決まっていないなら無理には聞かないけど」
「決まってる」



そう



願い事が一つだけ叶えられるなら

どうしても見たいものがあった





「見に行きたいんだ・・・桜を」
「桜・・・?」



望みを口にすると夢人は怪訝そうな顔をした
だけどそれが当たり前

だって今は霜月だ

桜はとうに葉を落とし枝だけの姿になっている



だけど
桜は咲いていないけれどその大きな幹だけでもこの目で見たかった





まだ俺が新造だった頃に姐から聞いた話

吉原の奥に大きな桜の木が一本ありその木が咲かす桜はそれはそれは見事なものだ
そう言っていたことを鮮明に覚えている

俺が水揚げすると姐は一緒に桜を見に行った旦那に身請けされていった
今も幸せに暮らしているという







「そんなことでいいの?」
「なっ!そんなことで悪かったな!!」
「別にけなしたわけじゃないよ。もっと難解なこと頼まれるかと思ったから」



どんなこと頼まれるかと思ったんだ・・・


そんなことと言われて腹かが立ったけどここで突っかかっていっても意味がない

一番問題なのはここからどうやって抜け出すか・・・だ

忍足は基本的に優しいのに外に出たいと言っても絶対に許してくれなかった
なぜと問いつめても、はぐらかされるか『菊月はうちの秘蔵っ子やから』と返されるだけ


もちろん納得いかない

だって他の花魁達は皆外に遊びに行ったりしている
ものすごく不公平だ



「ここからどうやってでんの?言っとくけど正面からは出れないからね」
「誰もそんな目立つことしないよ」
「でも後は裏口とか・・・駄目だそこに行くまで乾の前通らなきゃいけないんだ」
「抜け出す方法はもう考えてあるから。でもここじゃさすがに無理だから部屋移動出来ない?」
「・・・・できる・・・・けど・・・・」



ここを出てしまえば行く所は後一つしかない
でも夢人は嫌がらないだろうか?

そんな不安が俺の心を満たしていく



「ここ出たら・・・後は・・・・その・・・」
「君がいた部屋・・・でしょ?」
「でも座敷と床では金額とか世間体とか・・・全然違うし」



夢人は計三回俺に会いに来ている

二回は付き添いだったけれど世間体的にはそうなっていた
三回目で花魁と床入り出来るようになるし、なじみになると他の花魁の所に行けば浮気になってしまう

そんな束縛をしてしまっていいのだろうか



「大丈夫」
「!?」



グルグルと悩んでいるとふいに夢人が俺の頭を撫でた








「誰が何を思おうが気にしない、これは・・・僕の意思だから」








まだ会って数週間しか経っていない
そのはずなのに

他のどの客より


・・・いや

いつの間にか誰よりも





夢人が俺の心を占めていた























夢人が提案した店を出る作戦はとても単純



越前に床の準備をさせ休んでいいと言って部屋を移す
その後は窓から外へと出て屋根伝いに桜の木がある場所へと向かう


簡単すぎるから本当に大丈夫なのだろうかとも思ったけど
実際床入りした後は誰も部屋に近づかないから一番いい方法だったみたいだ

屋根の上を移動するなんてできるのかと聞いたら



『できなきゃ仕事にならないから』



なんて返された



それもそうだ
闇守の仕事は護衛もあるがそれはほんの一握りで大半は暗殺だと聞いたことがある
逃げる際には追っ手がかかったり見つからないために屋根だろうがどこだろうが
通る必要があるからこういうのにはきっと慣れているんだろう









明るい店の灯りが少しだけ弱まるようなそれほど遠くない場所にその木はあった




桜の葉はやっぱり落ちていたけれど大きな幹が悠然と立っていて
迫力に思わず見入ってしまう
きっとこの木が桜を咲かせている時はもっと綺麗なんだろうななんて思った



「月が出てて明るいからそんなに長くはいられないよ、誰か来るかも知れないし」
「分かってるって!!」



夢人は怪訝そうな顔をして本当に分かってる?と聞いてきた

実を言うと聞いていない
何年かぶりに出る外はとても新鮮で、何もかもが綺麗に感じられて





いつの間にか降り出していた雪がうっすらと積もり、地面を白く染めていく
雪が何も履いていない足を濡らしていったけど全然気にならない

冷たい空気を胸一杯に吸い込んで空を見上げた
小さな月と真っ白な雪と桜






感じていた冷たさが痛みに変わる




痛い・・・・



悲しい・・・・



悲しい?




『君の名前は?』




俺の名前




俺は・・・・・・





「いや・・・」
「菊月?」
「違う・・俺は・・菊月じゃない・・・」
「それってどういう・・・菊月!?」



そこから俺の意識は途切れた












辛く悲しい記憶

過去は変えることが出来ない

ただその事実があったというだけ

けれどそれはいつまでも消えない傷となって



俺を苛み続けている

〜霜天月光〜