血に濡れた僕を照らし出す月は
僕をあざ笑うかのように
冷たい光を放っていた
(迂闊だった・・・)
闇に紛れ夜の町を走り抜けながら心の中で自分の甘さに毒づく
今夜の相手は思ったより剣捌きが上手くて時間がかかった
それだけならまだしも、とどめを刺したとき相手から左腕を斬られている
傷は浅いが出血量が多いため、このまま鶴屋に戻れば途中で貧血を起こし倒れるだろう
もし現場から近いこの場所で気を失うようなことになれば犯人ではないかと間違いなく疑われてしまいこれまでのように行動できなくなる
そこまで分かっていながらも斬られてしまった自分が情けなかった
「っつ・・・」
傷口を庇っていた着物が血を吸って重く肌にまとわりつく
その不快感に眉をひそめていると急に目の前が明るくなる
眩しさに目を細めているとようやく目が慣れてきたのかぼんやりと全容が明らかになった
化粧と煙草と酒のにおい
仕事場は元々吉原の裏通りだったが、どうやら大通りに出てしまったらしい
そしてすぐに見覚えのある建物が目に入った
(ここは・・・)
朱色の引き戸
黒に金色でかかれた『天華』の文字
いったい何の偶然なのかと痛みを忘れて苦笑した
どうしてもこの店とは縁が切れないらしい
だがせっかく事情が分かっているもののいる店だ
少しくらいは休ませてもらえるだろうと思い扉に近いたとたん
ぐにゃりと世界が歪んだ
ゆったりと視点が切り替わり暗い闇に染まっている空が目に入ってくる中
赤茶けた髪が二階の窓際に見た気がしたがそれを確かめる前に意識は遠のいていった
「ねぇ・・・大丈夫・・・かな」
「当たり前や。どう見てもただの貧血やないか」
「で、でもあんなに・・・・・・・・血・・・出てたし」
震えた声を出している少年はどうやら血が苦手らしい
落ち着いた声の男はふぅとため息をつき
しばらく安静にしていれば直に目を覚ますと言い残して部屋を出ていった
聞くともなしに話を聞いていた僕は薄く目を開けそのまま固まる
なぜか目の前に菊月の顔があった
「っ!?」
「よかった・・・このまま起きなかったら俺どうしようって・・・っ」
しゃくり上げた菊月は僕から離れ顔を覆って泣き出す
身体を起こすと斬られた左腕に痛みが走り眉間にしわを寄せる
目をやると腕には白い包帯が巻かれていた
「やっと起きたんか」
襖が開き落ち着いた声の男・・・店主が現れやれやれと首を振る
血が駄目な菊月の代わりにこの手当は彼がしてくれたのだろう
「なにもうちの店先で倒れへんでもええんやないか」
皮肉を言われつつ手渡されたのは痛み止めらしきもの
確かに正論なので非礼をわびて薬を受け取る
「じゃあ俺は仕事あるさかい、後頼むで菊月」
「・・・・・・・・うん」
震える声で返事を返した菊月が顔を上げてこちらを見る
目が赤くなっていて泣きはらした痕があった
(綺麗・・・)
今まで泣き叫んで助けをこわれたことは幾度となくあったが
一度として誰かの泣き顔が綺麗だと感じたことがなかった
これからも感じることはない
漠然とそう思っていたのに
「なんで・・・泣いてるの?」
動かすことのできる右手を頬に当てて涙を拭うとその上から菊月が手を重ねる
僕より高い体温が心地いい
「分かんない・・・でも・・・夢人さんが・・・・・・・・このまま起きないって思ったら・・・すごく・・・怖かった」
「・・・・・・・・ありがとう」
何年かぶりに僕は微笑んだ
作り笑いなんかじゃなくて
本当の心からの笑み
恨みを買い大切な人の命を奪う仕事
誰も生きていて欲しいと思うわけがないのに
死んで欲しくないと思われたのが嬉しかった
とにかく泣いている菊月を落ち着かせるためにどうやって僕を見つけたのか聞くことにした
今夜は偶然客が来れなくなり休みになったのでなんとなく外を眺めていたら
いきなり店の前で人が倒れたので慌てて店主を呼んだらしい
と言うことは、倒れる前に見たのはやはり菊月だったみたいだ
「夢人さん・・・人斬り・・・だったんだ」
「・・・なぜ?」
「仕事の内容は手塚さんに少し聞いたことがあるんだ。でも夢人さんは護衛だけかと思ってた」
なんとなくね
と菊月は笑う
やっと笑顔が戻りなんだか安心した
痛み止めがやっと効いてきたのか痛みが引いている
これなら帰れるだろう
店先で倒れのに表から堂々と出るのはいろいろまずいと思い窓に近づく
屋根の上なら気づかれることはまずない
「手当ありがとう」
「俺はなにもできなかったけどね」
血苦手なんだと少し寂しそうに笑った
いつも楽しそうに笑うから変な感じがする
「今度は・・・ちゃんと会いに来る。お礼したいから」
「うん」
菊月の返事を聞いてから屋根に音もなく飛び乗った
足元に広がる店の灯りはもう嫌なものではなくて
僕を照らす月は冷たい
コロコロと表情を変える月は
どこまでも温かい
昔なくしてしまったもの
この世界で生きていくには捨てるしかなかったものが
あの温かさの中に
あるような気がした