〜天華〜

今宵も客は夢を求める


一夜限りの甘い夢


今夜も夢見る自由の幻


売られ来るは新たな商品


全ては堀に囲まれし


大門をくぐりて始まり


外に出れば幻と消える


儚く淡い月夜の宴








『天華』は創業36年になる二階建ての大きな陰間茶屋だ

毎夜客が絶えず入るのは店の対応が丁寧なことやいい陰間が揃っていることだけが理由ではなかった

人気の秘密は【菊月】という名の陰間

位が高くてどんな金持ちが金を積んでもめったにお目にかかれない、女よりも美しい少年
花魁に勝る陰間と呼ばれ天華から外へは滅多にでないためか吉原にはそういった噂がまことしやかに流れていて一目見てみたいという野次馬たちが天華の店先から居なくなることはなかった




「菊月!菊月起きとんのか!」



遊女の部屋がある二階の廊下を昼間から大声を上げながら歩いているのは『天華』の店主忍足侑士だ
忍足は菊月の部屋の前で足を止めるとめがねを押し上げてから柱をコンコンと叩く
しかし全く返事がない



「入るで」



静かに襖を開けると中では菊月と呼ばれた少年が幸せそうに眠っていた
忍足は少年の枕元に座り込み頭を撫でながら呼びかける



「菊月、もう昼前やで。お茶の練習せなあかんから明日は早よう起きてやって言うたやろ」
「・・・」



なんどか呼びかけたが全く起きる気配がないことに忍足ははぁと小さく溜息をついてしまう
これが今日に限ったことではなくほぼ毎朝なので起こしにくる店主も苦労が絶えないようだ
その後も色々と試してみたが、菊月はなにをやっても起きそうにないため忍足は最終手段を使うことにした



「菊月!」
「ふにゃっ!?」



忍足が鼻をつまみながら名前を呼ぶ



「って〜、そんな起こし方しなくてもいいだろ!」
「何度起こしても起きへんかったからやろ」



菊月は鼻を押さえながら気怠げに起きあがった
だがまだ眠いのかうつらうつらしている



「早よう湯浴みしてきいや。先生来てまうで」
「・・・」
「もういっぺんつまんだろか」
「わ・・・分かったよ。起きるから」



着崩れた赤い着物を直し近くにあった羽織りを肩に掛けると少し涙目になりながら菊月は立ち上がる
腰が痛いのかゆっくりとした動きで湯殿に向かった


昨晩の客はお得意様で床入りすると毎回空が白み始めるまでずっと相手をしなければならない
忍足にも分かっていたが菊月は店の商品で自分はその店の店主でしかない
菊月のためだけに何かをすることは出来ないのだ
一つ間違えば店が潰れかねない
そうすれば雇っている全員が他の店に行ってしまう
それは菊月も例外ではない
菊月が自分の元から離れたらどうなるかは簡単に想像できる
きっと今以上に辛いことが増えてしまうだろう
負担をかけているのは分かるがどうしてやることもできなかった



「ごめんな、えーちゃん」



菊月には聞こえないくらい小さく呟く忍足は無力な自分を情けなく思った





その頃菊月は湯殿に向かいながら、茶道の練習があると覚えていてもどうしても勝てなかった睡魔とまだ戦っていた
ふらついた足取りで階段を下り廊下を歩いていると誰かにぶつかる



「菊月・・・お前前見て歩いてないだろ」



呆れた様な声で頭にぽんと手を置いたのは店の会計などを任されている乾だ



「乾ぃ」
「駄目だ」
「まだなんにも言ってないじゃん」
「お茶の稽古を休みたいって言うんだろ?駄目だ」
「だって・・・怠いし眠いんだもん」



菊月は軽く頬を膨らませ訴える
乾も会計という職からその客のことをよく知っている
誰よりも高値で菊月との一晩を買いにくるあの客の仕事は確か貿易商だといっていた



「お前も大変だな」
「別にって言ったら嘘になるかな。でも俺は他に行くとこないしさ」



にこりと笑う顔は可愛かったが寂しさが滲んでいる
事情を知っているからこそ、なにも言えないのではない
言わないことが賢明だと判断し乾が口を開くことはなかった
乾は仕事があるからまた後でなと言い頭を撫でると廊下の奥に消えていってしまう
それは些か残念なことだったがこれ以上遅れると後で忍足がうるさい





脱衣場で着物を脱ぐが今は寒さが一段と厳しくなる霜月の終わり
まだ雪は降っていないにしろ身体に突き刺さるような寒さだ
素早く身体を洗い終えると湯船につかるがむき出しの肩を小さな格子窓からはい
るすきま風が容赦なく襲う
菊月は身体を震わせ肩まで湯に浸かった
こういった寒い日や1人の時は嫌なことばかり思い出す
あれももう何年も前だというのに目を閉じれば昨日のことのように鮮明に脳裏に蘇る
深く暗い思考の海に沈みかけていると誰かが脱衣場に入ってきたようだ



「菊月さん?」
「なんだ、お前か」



脱衣場に入ってきたのは越前という名前の新造だ
まだ年が若いため菊月の身の回りの雑用をしながら一緒に教育を受けている



「なんだって俺じゃダメっスか?忍足さんが早く来いだそうです。着替えここにおいときますから」
「今行くって言っておいて」



分かりましたと軽く返事をした越前はどうやら出て行ったようだ
菊月は少しの間目を閉じて蘇りかけた記憶を再度封じ込めた
湯船からでて越前が持ってきた着物を着る
以前はなかなか慣れることができなかった女物の着物も今では上手く着付けがで
きるようになっていることに少しだけ苦笑しながらも稽古場に向かった




案の定茶道の先生は来ていて越前にちょっとした嫌みを言われつつ練習を開始する
前回は菊月がお手前をしたので今回は越前の番だ
順調に進んでゆきお茶がたておわったと思ったとき茶室の襖が開かれる
誰かと思えば忍足だった



「稽古中すまんな。菊月お客さんや」



まだ客を取る時間ではないが気の早い客がどうやらもう来たようだ
忍足が普通の客をこんな時間帯に通すわけがないし自分を訪ねてくる相手など客以外はあり得ない
となると昨日の客かそれとも・・・



「石田屋さんや。今部屋でお待ちになってるさかい、はよおいで」
「うん」



やはりなと思いつつ菊月は茶室を後にしゆっくりとした足取りで部屋に戻る

石田屋は常連だがまだ一度も菊月と床入りをしていない
いつだったか身請けをしたいとも言っていた
自分にそんな価値はあるのだろうか
そんなことを考えているうちに部屋についてしまう
菊月は笑顔で襖を開けた
今日は少しばかり早いが仕事の始まりだ







今宵も一夜の甘い夢を