その夢は花を守っていた
花を枯らそうとする害虫を退け
成長の妨げになる雑草を取り除き
それは花のためだけではなく
花を愛する周りの人のためであると
夢はずっと信じていた
だがそれは総て花の嘘
愛でる人など本当は誰一人いなかった
花にとって夢も栄養でしかなかったのだ
気づいた時にはもう遅く
夢は花の側以外の居場所をなくしていた
夢に守られ花は成長を続ける
いつしか花は蔓を伸ばし
夢を閉じ込める籠を作った
捕らえられたまま
己の意志とは関係なく
夢は永劫花を守り続けるのだ
「菊月ー起きとるかー?」
呼びかけても返事はない
まぁいつものことなので店主は気にもせず襖に手をかけた
「入るでー・・・・・・っ!?」
部屋の中に目をやったとたん店主はしばし絶句し慌てて下の階へ駆け下りていく
中には乱れた一組の布団があるだけで・・・
部屋の主である花魁は姿を消していた
「乾っ!!!!」
「やぁ、お早う忍足・・・・・何かあったのか?」
会計の男は店主の慌てぶりに首をかしげ見ていた台帳を閉じる
「菊月が・・・・おらへん」
「そんなわけないだろ・・・誰もここを通っていないぞ?」
「・・・・・・・・」
「本当に・・・・・・・いないのか」
その問いかけに店主は言葉もなく頷く
事の重大さにようやく気づいた会計も店主に習い店の中を探し回る
だが誰に聞いても今日はまだその花魁を見たという者はいない
これだけ店内を探してもいないと言うことは外に出たのだろう
あの部屋で唯一外へと通じる窓が開いていたような気もする
それに一緒にいたはずの石田屋も消えていた
店主には何が起こっているのか全く分からず、ただただ自分の迂闊さに舌打つ
あれは決して外に出してはいけないのだ
生きていてはいけない存在
消えたはずの存在
だから今まで必死に隠し守ってきた
誰にも見つからないように
誰にも悟られないように
守ると誓ったあの日から
ずっと・・・・
なのになぜ今更こんな事が
「どこ行ったんや・・・・英二」
脳裏に浮かぶのはどれも最悪の結末
それを振り払うかのように店主はその花魁の名前を呟いた
誰も知らないはずの真名を
その頃不二は英二を背負い大通りをゆっくり歩いていた
ぽつりぽつりとなされる会話はとても些細なことで他人が聞いたら笑ってしまうだろう
だが不二にとっては興味深いものばかり
「ねぇ不二」
「何?」
「やっぱり下ろして?別に足とか痛くないし」
「駄目。英二は草履履いてないだろ?それにまだ朝早いから誰も見てないよ」
そういう問題じゃないと英二は顔を伏せた
柔らかな髪が首筋に触れて心音が跳ねる
名前を呼ばれたり
他愛ない話をしたり
ただそれだけのことなのに心地いい
大切な人と過ごす、ということを初めて体験した不二は分かろうともしていなかった
「自分以外の人を守りたい」という感情をようやく理解できた気がした
ならば・・・と、不二は思う
奪うことしかできなかった自分に別れを告げて、守る側になろう
これから生きていくと言うことに戸惑いがないと言ったら嘘になる
闇守以外の生活も、誰かの側にいることも不二にとって経験のないことばかり
そもそも無事にこの町を離れられるかどうかも謎だ
それでも不二に立ち止まるという選択肢はない
英二が望んだのは生きること
ならば全力で叶える
それが不二自身の願いでもあるから
似合わないことだとか、資格がないとか言って逃げるのはもうやめた
英二が救ってくれた命だから、自分の意志で歩き続け、道を決めたい
「英二」
「んー?」
「僕は・・・君を守るよ。今まで感じたことがないくらい幸せにするから」
「っ!?・・・お前性格変わりすぎ。よくそんな恥ずかしいこと言えるな!」
「僕は元からこういう性格だけど?」
余計に悪い!!と英二は不二の頭を叩く
くすくす笑っていると英二が声色を一転させて小さく問いかけてきた
「でも・・・不二・・・本当に・・・いいの?」
「なにが?」
「だって俺・・・男だよ?だから・・・その・・・・・」
「性別なんて関係ない、僕は英二だから好きになったんだし。そういう英二こそいいの?」
「聞くなよ・・・馬鹿」
大好き、と囁かれてまた一つ心音が跳ね上がった
「さぁ、どういうことか説明してもらおか」
天華に着いてそうそう眉間に深い皺を刻んだ忍足に店の奥へと連れてこられる
こちらとしてもその方が話しやすいので願ったり叶ったりだったが
とても話し合いをするという雰囲気ではない
確かに一度も店の外に出したことのない秘蔵っ子が消え、身請けを約束していた客までもが消えた
その上翌朝嫌っていた人斬りと帰ってきたとなれば怒りを覚えない方がおかしい
「彼を連れ出したのは僕です。とても大切な話があったので」
「そないな言い訳通用するとでも思っとんのか!?」
「ええ。僕にとっても彼にとってもこれから生きていく上でどうしても」
忍足は英二に視線を投げかける
それが真実なのかを聞きたかったのだろうが英二も頷いてしまったため、がっくりと頭を垂れた
「菊月・・・・あれほど外に出たらあかんって言うたやろ」
「ずっと聞きたかったんだけど・・・何でそんなに俺を外に出したくないの?」
「それは菊月がうちの・・・・・・・」
「本当に?本当にそれが理由なの?」
英二の真剣な質問に店主は口をつぐんでしまった
他に理由があるのだろう
だがそれを英二に説明することもできなくて「秘蔵っ子だから」という名目で軟禁していたのだ
人と会わせるのは店の中
それも自分の目の届くところ
なぜ・・・・?
そう考えたとき思いついたのは
守るため
遊郭というある意味外界から閉ざされた場所ならば人一人隠すことなど容易だ
そして菊月に会えるのはごく一部の人間だけ
きっと身辺や背後関係なども全て調べた上で客も選んでいたのだろう
今考えれば疑問ばかりが残っている
『菊月』という名の花魁に入れ込み
外に出さず何かから守るように閉じ込めておいた店主
ならば答えは一つしかない
「あなたは・・・・・菊月の過去を・・・・・・知っているんですね?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・あぁ」
「!?」
苦々しげに語る忍足に不二ももちろん驚いたが英二は驚きを通り越し絶句していた
「菊丸英二。十年前『闇守』に消された菊丸家、そのたった一人の・・・生き残り」
「お・・・・したり・・・・」
「ごめんなぁ、えーちゃん」
ずっと気づいていた。
だが知らないふりをしてしか手を差し伸べられなかったんだと
忍足は悔しそうに唇をかみしめる
忍足家と菊丸家は商売相手だった
とはいうものの、商売抜きに仲がよかったため
忍足は父に連れられて菊丸の家に遊びに行く機会も多かったのだ
その夜も忍足親子は菊丸の家に訪れていた
父たちは新しい商品の話で盛り上がってしまい、いささか飽きた忍足は庭へと足を踏み入れる
自分の家にも庭はあるがまた違った趣を見せる菊丸家の庭が好きだった
月明かりに照らされ美しい草花が咲き乱れている様をぼんやりと眺めていると
不意に足音がして忍足は子供が一人庭で遊んでいることに気がつく
夜更けと言ってもいい頃合いなのにその子供は世話しなく庭を駆け回っていた
「なにしとんのや」
「!?」
声をかけると子供は心底驚いた身体を硬直させる
その愛らしい動きに笑みを浮かべ忍足は子供を手招きした
夜に来ることが多かったためこの子供に会うのは初めてだ
おそらくこの子が父から聞いていた末の弟なのだろう
家の者ではないことに気がついたのかその子供がとてとてと駆け寄ってきた
「お兄ちゃん・・・・だれ?」
「忍足侑士や」
「おしたり・・・・俺はね、菊丸英二って言うんだ」
「そか、ならえーちゃんやな」
「俺女の子じゃにゃいし!」
「ははっ、ええやないか。可愛らしいて」
英二と名乗ったその子供はかわいくない!!と憤慨するがそんな様子も可愛らしい
思わず顔をほころばせてしまうと気に入らなかったのか英二は頬を膨らませて顔をそらしてしまう
どうやら機嫌を損ねてしまったようだ
何とか機嫌をとりつつ忍足が帰るまでの間二人はいろいろな話をした
あまり得意ではない剣術のこと、意地悪だという兄のこと、優しい姉のこと
そして大好きな父と母のこと
一生懸命に伝えようとする姿は健気で庇護欲をかき立てられる
今は月明かりの中だが、この子にはきっと日の光が似合うのだろう
その姿を見てみたくなった忍足は今度昼間に遊びにくると英二と指切りをした
その矢先、菊丸一家が惨殺されるという事件が起こる
忍足は母からその話を聞いたとたん家を飛び出した
話によれば一家全員殺されたということだったが自分の目で確認しなければ
どうしても信じられなかったし、信じたくなかったのだ
ようやく着いた現場には野次馬が数人いる以外は普段の静かな様子を取り戻していた
ただ一ついつもと違うのは降り積もった雪が鮮血に染まっていること
「怖いわねぇ」
「みんな殺されちゃったんでしょう?」
どこか他人事のように話す周りが鬱陶しくてたまらない
約束を果たせないままあの子は逝ってしまった
いったい誰が、なぜこんなことを
悲しみからただ呆然とするしかない忍足の耳にまた噂話が流れ込んでくる
「六人家族だったんでしょう?」
「えぇ。男の子二人と女の子二人。みんなお母さんを守るようにして倒れていたんですって」
「なん・・・やて?」
「え?」
「今、何人家族って言うた!!」
「ろ・・・・六人だけど」
「っ!?」
菊丸の家は父母に兄二人、姉二人、そして末っ子の七人家族だ
母を守るようにして、ということは母の腕の中に英二がいた可能性が高い
英二が生きている
そのことに気がついた忍足は周りの者が訝しむのも気にせず家に駆け戻った
探さなければ
死んでいないと気づかれたら家族を殺したものがとどめを刺しに来るかもしれない
今どこにいるのかも分からなかったが、どうしても探さずにはいられなかった
だが、どこを探しても誰に聞いても英二の行方は分からずあっという間に数ヶ月の時がたってしまう
絶望的な状況の中、忍足は祖父の代から本業とは別に営む
陰間茶屋『天華』の経営を任されるまでになっていた
父は経営のなんたるかを学べと言っていたが、おそらく気落ちしている息子を思ってのことなのだろう
流されるまま店主の座に着き、商品の話をしていたそのとき一人の人買いから出た話題に
忍足は食いつくこととなる
「旦那、知ってます?全身を血に染め上げた子供が売りに出されてるって話」
「・・・知らんな。どこの話や」
「一山越えたあたりの小さな村ですよ。噂じゃ話しかけても何の反応も返さねぇ生きた屍らしいっすけど」
血まみれの子供など今の時代珍しくもないが、なぜかその話が気になって仕方がなかった
物は試しとばかりに教えられた子供がいる場所へ向かう
そこでようやく英二を見つけたのだ
全身が血で汚れあの頃浮かべていた愛くるしい表情もない
目に全く生気がなく本当にただ生きているだけ。端から見れば確かに生ける屍のようだった
自分の意志ではなく何か強い思いで生に縛り付けられているような
そんな雰囲気すら漂わせている
「坊・・・名前は」
「・・・・」
「聞こえとるか?坊、名前や、名前。俺は忍足」
「・・・・・・お・・・し・・・・・た・・・り・・・・・」
「せや。坊にも名前あるやろ」
「・・・・・・・ない。おれには・・・・なにも・・・・ない」
「そうか・・・・・せやったら『菊月』って名前やる」
「きく・・・・づき・・・?」
「あぁ。ええ名前やろ?」
「うん・・・・・」
菊丸の生き残り
たった一人になってしまった英二
もう二度とあんな思いはさせない
全ての苦しみから痛みから自分が守る
英二が一人でも泣かないように
日の下で遊ぼうと交わした約束を果たせるように
「ここまで話したんはお前を信用してるからやで。夢人」
「・・・・どういう意味です」
「他の闇守・・・・特に英二の家族殺した闇守に言うなっちゅうこっちゃ」
「・・・・・・その闇守が僕だと言ったら・・・・どうしますか」
とたん、顔色を変えた忍足に着物の袷をつかまれ頬を殴られた
あまり痛みはなかったが口の中にじんわりと鉄の味が広がって口の中が切れたことを知る
「お前正気か!?どういう神経で英二の側におったんや!」
「彼が『菊丸英二』だと言うことに気がついたのは最近です」
「ほぉそれで昨日殺すために外に連れ出したっちゅうわけか」
「僕は・・・・殺されるつもりでした」
「っ!!!!」
それがまた忍足の気に障ったのか再度拳が振り上げられる
不二は来るであろう衝撃に目を閉じた
あの日の出来事は不二自身が一生背負い続けていくべきことだと思っている
英二を含め他の人から許される気もないし、自分自身を許す気もない
もとより殺されて当然なことをしたのだ
死んで罪を償う、ということも考えたがそれは間違っていると英二が気づかせてくれた
だから不二はこれから死ぬ以外の報いならばどんなものでも受け入れていくつもりだ
「えーちゃんが・・・どれだけ苦しんだか分かっとんのか」
振り上げられた手は不二の頬を打つことはなかった
代わりに絞り出すような声が不二を責める
胸に突き刺さる声と言葉は、殴られるよりも格段に痛い
それは言っている忍足とて同じだろう
どれだけ英二が辛い思いをして、涙を飲み込んで生きてきたか
知っているからこそ、見てきたからこそ、言わずにはいられないのだ
「どんだけ悲しい思いして、辛い思いして・・・・今まで必死に生きてきたのか分かんのか!?」
「・・・分かりません。だからこそ、今まで辛い思いをさせてしまった分だけ幸せにするつもりです」
「はっ・・・よぉ言うわ。闇守が」
「否定はしません。闇守は僕の過去で、仕事で、生きる意味でした。それでも・・・・・・」
ざりざりと草履が砂を踏む音がする
まだ日が高く人影もまばらな色町にその音は大きく響く
一人は腰に刀を帯び亜麻色の髪を風に靡かせていた
一人は手に風呂敷包みを持ち赤茶色の髪を跳ねさせていた
どちらもこの界隈では幻と言われていた人だ
一人は夢の人斬りとして
一人は幻の花魁として
本当の名は誰も知らないが偽りの名なら誰もが言える
「夢の人」と「菊月」だった
二人は一言も発せず、ひたすら大門に向かう
誰にも見つからずこの町を出るのは至難の業かとも思ったが
店を出るときに店主がこっそり抜け道を教えてくれたのだ
つかみ合ったままでは話が進まないと意を決した英二が辛いだろうに石田屋、不二
そして家族に起こった惨劇の関係性を包み隠さず全て明かした
もちろんそう簡単に忍足は信じない
だが不二も説得に加わり
「昨夜の暗殺依頼を依頼を受けはしたが石田屋は死んでいない。
石田屋に身請けされては英二の身が逆に危うくなる」
と半ば脅しのようなことを言いようやく首を縦に振らせたのだ
石田屋が闇守の統括をしている、とはさすがに言えなかった
これは不二が一生胸の内にしまっておくべきことだと思っている
「英二を頼む」
縋るような言葉に込められた意味を不二はちゃんと理解していた
今日からは忍足に変わって自分が守っていかなければならない、と
隣で聞いていた英二もその言葉が何を示すか分からないほど子供ではない
だが守られるだけはどうしても嫌だった
自分に不二を守れる力がないのならばせめて隣に並んでも恥ずかしくない人間になると
英二は忍足の前で誓った
二人は手を取り合い大門へと急ぐ
過去は、今までこの場所で生きてきたことは、決して忘れない
振り返り後悔するのではなく前に進むために
「ね、不二」
「ん?」
「もう一回聞きたい。さっきの言葉」
「大門を出たらね。ここでの言葉は菊月とってただの睦言でしかなさそうだし」
「なにそれ・・・・じゃあ、夢人の言葉も寝言ってこと?」
「それはさすがにないな・・・」
くすくすと笑いながら二人の歩みはどんどん早くなっていく
もう少しで大門だ
ここを出たら夢人という偽りの自分ではなく
不二周助の言葉として菊丸英二に何度でも囁こう
「僕は彼のために生きていきたいんです」
夢は花の伸ばした蔓を自ら断ち切った
花ではなく
夢を愛でてくれる存在を
ようやく見つけたから
それは遙か昔
花を守るために切り捨てた月だった
夢は月との再会を果たし
ようやく自分の居場所を見つけたのだ