信じられなかった
ううん
信じたくなかった
ようやく見つけたと思ったんだ
心の安まる存在
側にいて欲しいと
側にいたいと思える
大切
なのに・・・・
夢人が出て行った窓辺をじっと見据えながら
俺は全く動くことができなかった
ごめんね、と謝った後ろ姿があの日見た姿となぜか重なって見えたから
思わず呼んでいたんだ
『不二』
あの日預けられた人斬りの名前
俺が自分の名前と引き替えに得た、復讐の機会だった
そんなわけない
だって夢人が不二なら過去を話した時、俺の正体に気がついているはず
違う
違う!!
夢人は絶対に、不二なんかじゃない!!
そんな願いも虚しく、夢人は俺の名前を呼んだんだ
もう不二周助しか知り得ない
『英二』
という名前を
本当に小さく、呻くように
もう間違いではない
夢人は・・・・
『不二周助』だ
殺すべき、敵
でも・・・・・・
「ど・・・・・しろって・・・・言うんだよ」
やっと出た声は震えていた
それがすごく情けなくて悔しくて・・・・
酷く裏切られた気分だ
俺が『英二』だと知っていてなお、夢人は何も言わなかった
気づいていたはずなのに、夢人は最初に逢った頃と何も変わらなかった
なんで?
どうして?
「わっかんない・・・・・俺は・・・・・どうすればいいんだよ!!!」
「殺せば終えることができるよ・・・・・・」
「!?」
聞こえてきた声に驚いて目をこらす
暗闇に溶け込んでいて気がつかなかったけど
いつの間にかそこには夢人・・・・・
いや、不二周助がいた
どうして戻ってきたんだろう
このまま姿をくらませば俺が追えなくなるのを知っていて
まさか本気で殺されようと・・・・?
意味が分からなくて問い詰めようとした
何もかもが分からなくて
こんなもやもやしているのはいやだ
でも夢人は人差し指を俺の口に当てた
そうだ
ここは天華の中
今人が近づかないとはいえ騒げばさすがに人が来てしまう
「場所を変えよう・・・・・あの桜のところへ」
そっと差し出された手
もしこれが嘘だったとしたら殺されるかもしれないのに
俺は素直に夢人の手を取っていた
逃げようと思えばいつでも逃げることができたはず
それでも逃げずに夢人は俺の元へ来たんだ
絶対に大丈夫
恐る恐る触れた白い手はとても冷たくて
少しだけ震えていた
霜月は終わり、師走ももう中頃にさしかかる
大きな桜の木の枝には数日降り続いた雪が積もり以前とはまた違った姿に見えた
まるで俺たちみたいだ
前に来た時とは全く違う気持ちで俺はこの場所に立っていた
それはきっと・・・・夢人も同じはず
今何時だろう?
分厚い雲が空を覆い隠し今にも雪をはき出しそうな中
桜の木の下で俺は無言のまま夢人と対峙していた
どうすればいいんだよ
夢人は自分を殺せと言っていたけど、それは俺自身が出した答えじゃない
かといって何がしたいんだと聞かれてもきっと答えられないだろう
夢人は不二で
不二は殺さなきゃいけなくて
でもそれが終わったら・・・・その後俺はどうすればいい?
俺は復讐のためだけに生にしがみついてきたんだ
だから嫁いだ先で全てを忘れて生きろなんて言われても
絶対に無理だ
「一つだけいいかな」
「なん・・・だよ・・・・・」
「君の家族を殺すよう依頼をしたのは・・・・・石田屋だ」
「え・・・・・・・・・・・・?」
「ただ知っていて欲しかったんだ。
石田屋はまだ生きているから・・・・どうするかは君に任せる」
あまりにも急な話過ぎて理解できなかった
つまり父さんたちを殺したのは夢人だけど
殺してくれと依頼したのは・・・・・・石田屋さん?
なんで石田屋さんがそんなことをする必要・・・・・
問いかけようとしたけど止めた
知ったところで・・・俺に為す術はないんだ
夢人もこれ以上のことは教えられないとでも言うように、空を仰ぎ見る
多くの命を奪い背負ってきた彼に
この世界はどんな風に見えてるんだろう
「この刀を使うといい」
視線を俺に戻した夢人は腰に差していた刀を俺の足下へと投げる
なんだよ
なんでそんなに冷静なんだ
なんで・・・
優位に立っているはずの俺がこんなにぐちゃぐちゃしなきゃけないんだよ
のろのろと拾い上げた刀は異常に重たくて
夢人が今まで奪ってきた命を手にしているような
そんな錯覚に陥りそうだ
「君に返そう・・・・・菊丸英二」
「俺・・・・・も・・・・・返すよ・・・・・・不二・・・・・・・周助」
精一杯出した声はとてもか細くて、頼りなかった
怖くない、大丈夫だ
泣くのを止めたとき・・・・誓ったじゃないか
生きて生きて、生き抜いて
必ず不二を見つけだし復讐すると
鞘から刀を抜き、強く柄を握りしめた
これで・・・・・自由になれるんだ
震える手で刀を振り上げる
不二が目を閉じて・・・・
俺はもう進むしかなかった
「ありがとう・・・・・君は・・・自由だ」
だが振り下ろした刀は血に染まることはなく
不二の目の前で止まっていた
「っ!?・・・・・何のつもり」
不二は俺を見据えて責めるように問うけど
俺は何も答えなかった
これ以上進めない
気づいてたんだ
俺には人を斬れない
それが例え憎くてしょうがない相手であろうと殺すことなんかできないって
復讐にしがみついていないと生きていく意味さえ失ってしまいそうだった
みんなにもらった命なのだから大切にしなければならない
そんな思いがいつの日からか俺の肩に重くのしかかっていて
生きろ
たった一人でも生き残れ
生き残れば幸せになれるはず
家族にそう願われて俺は生き残った
でも俺は望まれたように生きていない
もしかしたら、あの時一緒に逝っていた方がいくばか幸せだったかも知れない
そう思うと自ら命を絶ってしまいそうで
怖くて
どうしようもなかった
頭に浮かぶのは何でという疑問ばかり
この答えが皆が望んだ幸せかどうかは分からないけれど
好きな人と・・・・・共に生きることこそ
俺の幸せだと
ようやく気づいたのに
「なんでだよ・・・・・」
「え・・・・・・・・・・・・?」
「なんで不二がお前なんだよ!?俺は・・・俺はっ!!」
他の客と何が違うのか考えろ・・・・・と言っていた越前
あの時の俺は考えても考えても答えが出せなかった
それはきっと感じたことのない気持ちが絡んでいたからだ
でも今ならばはっきりと分かる
俺は・・・・
「お前が好き・・・・・なのに・・・・!」
口に出したとたん力が抜けて俺はその場に崩れ落ち
同時に手にしていた刀もがしゃんと音を立てて横に転がった
着物が濡れてじわじわと身体が冷えていく
寒くて
痛くて
でもそれ以上に哀しかった
どうして殺さなければいけない相手を好きになってしまったんだろう
こんな気持ちに気づかなければ・・・・・苦しむこともなかったのに
でも夢人が不二だと知っても尚、嫌いにはなれなかった
こんなのおかしい
恨むべき相手を、憎むべき人を
好きになるなんて
「変・・・・・だよ。だって僕は・・・・・君の家族を殺したんだ。憎んで当然なのに」
「俺だって・・・・わかんないよぉ・・・」
いつの間にか流れていた涙は後から後からあふれ出て止まらない
泣くのは・・・・何年ぶりだろう?
辛くても、悲しくても、寂しくても
泣かないと決めたあの日から一度も泣いたことはなかった
このままじゃダメだ。ちゃんと不二と話をしたい
だから泣き止まなきゃって思ったのに
久しぶりすぎて涙の止め方が分からなかった
「・・・・・泣かないで」
「と・・・・っ・・・・まんない・・・っ」
「・・・・・・」
不二はただ泣き続ける俺を抱きしめて
少しでも落ち着けるように、ゆっくりと背中をさすってくれた
そんな何気ない優しさが嬉しくてまた涙が頬を濡らす
いいのなか・・・・
なんてぼんやりとした頭で考えつつ不二の背中に手を回した
「俺には・・・・殺すなんて・・・・できないよ」
「僕もこんな命を背負わせたくない・・・けどこれ以外に思いつかないんだ」
命を奪った罪は重く、背負って生きていくのはきっと辛い
それこそ潰れてしまいそうなくらいに
不二はそのことを誰よりも知っている
でも他に償うすべを持たなかったんだ
俺も殺してくれと頼まれたとき、それしか方法はないと本気で思ったから
でも・・・・間違ってる
償う方法は一つだけじゃなくて
人の数ほどたくさんあるんだ
そう俺は信じたい
「なら・・・・・・・・生きて・・・・・俺を・・・・・おいていかないで」
ごめんな
俺は不二を『生』という選択肢に縛り付けた
不二自身が選べたいくつもの未来を殺して
ただ生きていくことを強いた
俺の家族を殺すように企てたのは、大切だと言ってくれた石田屋さんで
不二は何にも悪くない
真実を知った今なら、許して、解放してあげられたのに
俺はできなかった
ううん・・・
孤独と喪失感の恐怖に囚われた心が、掴みかけた安息を手放そうとはしなかったんだ
「それで・・・・僕が生きていて・・・・いいの?」
とんでもないこと聞くなぁ何て思いつつ
力強くうなずいてやった
見つけた答えは俺の自己満足かも知れないけど
いつ殺されてもいいなんて、悲しい覚悟からは解放してあげられたはず
そして・・・・俺もこれで自由になれた
それで、じゃないんだよ不二
それが1番いい
「なら・・・・君の側に、いていいかな」
突然耳元で告げられた不二の願い
確かに一緒にいられたら、共に生きていけるのならば
どんなに幸せだろう
でもそれって不二にとって償いでしかないんだろ?
なら俺は望まない
ただ生きていて欲しいだけだから
だって辛いだけじゃん
好きって気持ちが重荷になるなんて
悲しいじゃん
どれだけ思っても通じないなんて
もう大丈夫
俺は不二に『好き』を伝えることができた
きっと誰の腕の中でもこの思い出を糧にして生きていける
伝えられただけでも奇跡なんだ
側になんかいたら
欲張りな俺は
不二がくれる優しさに勘違いして
必ず今以上を求めるよ?
俺はね・・・・・
好きだからこそ
要らないって
邪魔だって
思われたくない
無理して一緒にいることなんてないだよ
「責任を感じて言ってるんじゃないんだ・・・・」
「じゃあ・・・・なんでだよ」
「天華で石田屋が君の上にいた時胸が痛かった
斬られてもいないのに、病でもないのに
ただ触れさせたくなくて・・・気がついたら屋根裏から飛び降りてた」
あの時不二は今思い出しても背筋が凍る
鋭く射貫かれるような眼光と凄まじい殺気
初めて会った夜にもあんなに殺気を纏ってはいなかったのに
「こんな気持ちになったことがないから、まだよく分からないけれど」
「君が・・・・英二が好き、だよ」
不二の言葉が全身に染み渡っていく
久しぶりに聞いた本当の名前と、ずっと欲しかった上辺だけの言葉じゃない想い
お店では毎日のように与えられる愛の告白
でも何度聞いても信じられなかった
だって・・・・天華は夢だから
かりそめの愛を囁くのは菊月を買った客
与えられる物は全て菊月の物
想いも
言葉も
温もりも
笑顔も
優しさも
総て
それらは菊丸英二にとって夢幻に浮かぶ月
どれだけ欲しても
どれだけ願っても
決して手に入れることができないもの
でも不二は惜しむことなく与えてくれた
飾り立てた言葉じゃなく『好き』とだけ
それがいかに難しくて・・・・いかに大切かを俺は知っているから
たった一言でも気持ちが痛いくらいに伝わってきた
密着していた身体が少しだけ離れて不二の冷たい手が俺の頬に触れる
「僕と一緒に・・・生きてくれる?」
「うん」
答えるのに時間はかからなかった
こんな俺を愛してくれるならば
俺はそれ以上に不二を愛そう
あの雪の日を忘れるなんてできないし、忘れちゃいけないこと
でも今までの憎しみとか悔しさとかを捨てて生きていきたいんだ
それなら死を選ぶより父さんたちも喜んでくれると思う
俺らしいって・・・言ってさ
ゆっくりと不二の顔が近づくのを感じ俺は目を閉じた
触れた唇は思っていたよりずっと温かい
不二は幻なんかじゃなくてちゃんと生きているんだなぁ
なんて当たり前だけどすっごく嬉しかった
雲の切れ間から
いつの間にか月が顔をのぞかせていた
雲の中たった一人で闇に浮かぶ月は
なぜか不二と重なって見えた
大丈夫
もうひとりぼっちなんかじゃない
俺がずっと・・・・・・・側にいるから