君は僕に色々なことを教えてくれた

涙が綺麗だと言うこと

一人は寂しいと言うこと

人の体温が心地よいこと

それ以外にも本当にたくさん

僕が知らなかったことを教えてくれた

ありがとう

ありがとう

やっと自由にしてあげられる

ごめんね

随分待たせてしまった

でも自由にしたら

もう二度と君を見ることはなくなってしまう

だからもう少しだけ

僕に笑顔をください








夢人は一人、闇の中で息を潜める

身を屈め、気配を消し、物音一つ立てぬようにしながら待っていた
ここに来たのが夕日の沈む前だったことを考えるとその時はもうそろそろのはず



(後一度・・・・働いてもらわなきゃ)



側で同じように息を殺す刀をぐっと握りしめる
夢人が刀を握るのはこの仕事で最後だ
何人もの命を奪い取ってきた刀
奪った命が増えるたびに、刀も重みを増していくようだ
それでも何年も生死を共にした
相棒・・・といっても過言ではない
自分が命を落とす、菊月に命を捧げるときにはこれを使ってもらうつもりだ
夢人を最後に、刀は命を奪うことをやめる
切ることをやめれば使われることもなくゆっくりと死んでゆくだろう
道連れはこの刀だけで十分だ

菊月に思考を至らせて夢人はふぅと息を吐き出す



(何度・・・・君に謝っただろう)



夢を見るたびに悔恨と罪悪で飛び起き、届くはずもない謝罪を繰り返す
返り血に染まったあの日から、毎日同じことをして
仕事なのだからしょうがないと思っていた
だが初仕事でそれは間違いだと気づかされる
人を殺していい理由など・・・・どこにもないのだ

たくさんの気配の中から一つが近づいてきた
す・・・と微かな音を立てて襖が開く



「夢人・・・話があるんだけど」
「どうしたの?」



菊月の呼びかけに答え夢人は板を外して下に降り立つ

最初は外で待機しているつもりだが、それでは目立つからと言われ
菊月の提案に従い天華の屋根裏で待つことになったのだ
しかも床入りする部屋で



「ごめんな・・・あんな狭いところに。忍足に言うわけにもいかないからさ」
「いや・・・協力してくれただけでありがたいよ」
「本当?よかった」



にっこりと笑う菊月
そんな様子を見ていると申し訳ない気持ちでいっぱいになった
どうして協力してくれるのだろう

そしてここである結論に至る
もしかしたら、菊月はまだ気がついていない・・・?

だが確認する勇気はなかった
気づいていないのならば・・・・
せめてこの仕事が終わるまで
普通に



「石田屋さんがそろそろ登楼されるから伝えに来たんだ」
「もう?ずいぶんと早いね」
「今夜は・・・・・早く来てくださいって言ってあるんだ」
「?」
「座敷で騒ぎを起こすと他のみんなに迷惑がかかるから・・・するなら・・・ここで」



夢人はそこまで聞いて絶句した
つまり菊月は石田屋をここまで連れてくると申し出てくれたのだ
本当に・・・どうしてそこまで
菊月が協力していたと知られてしまったら、ただではすまないというのに
そしてふと、越前が言っていたことを思い出す

『菊月さんはやっと自由になれるのに全然嬉しそうじゃなくて』

嬉しく・・・ない?
自由になることが?
それはない、短い付き合いだが彼には家の中と言うよりは屋外と太陽が似合う
復讐ができなくなるからか?
確かにここより人の出入りは少なくなるだろうが、可能のはずだ

では・・・・・なぜ



「じゃあ・・・行くね。合図はできないと思うから」
「大丈夫・・・・きっと」
「・・・・・うん」



儚い微笑みを残して菊月は部屋から出て行った















あれからどのくらい時が経っただろう
もう客を取る時間になったのか、天華の中が騒がしくなり始めた
人の笑い声、話声
鶴屋では人を避けているし、輪に入りたいと思ったこともない
常に背後や周りの気配を気にして生きてきた
夢人がこんなに落ち着いた気持ちで人の気配を感じるのは初めてかもしれない

また部屋に気配が近づく
今度は二つ、おそらく彼らであろう
夢人が思った通り、真下からは菊月と聞いたことのない男・・・・石田屋の声が聞こえてきた



「ははっ、でも菊月から誘ってくれるなんて・・・思っても見なかったよ」
「若旦那様は身請けした後と仰ってくれましたけど・・・嫌われてるんじゃないかと不安だったんですよ?」



いつもと違う菊月の絡みつくような甘い甘い声色
顔は見えないがきっと蕩けるような顔で笑いかけているのだろう

ズキリと胸が痛んだ

理由の分からない胸の痛みは会話を聞いているだけで増してゆく
これは・・・?
斬られたわけでもない
病というわけでもない
ただズキズキとした痛みが胸の内を苛む



「そんなことあるわけないだろう?嫌いだったらこうして側に置いたりはしないよ」
「ふふっ・・・身請けまで後数日ですけど、若旦那様のものだという印が欲しいと思いまして」



ふっ・・・と石田屋が小さく笑ったのを最後に二人の話す声はプツリと途切れる
代わりに耳に飛び込んできたのはかすかな吐息と衣擦れの音
途端に夢人は身体中の血が凍るのを感じた

嫌だ・・・
嫌だ・・・っ!

菊月にこんなことをさせたのは自分だというのに
己の心に浮かんだ嫌悪をどうすることもできない
数多の命を手に掛けてきた夢人だが今日ほど明確な殺意を感じたことはない

嫌だっ
嫌だ!!
菊月に・・・
英二に触れるなっ!!

今まで正体がわからず、だがずっと存在していた感情が爆発した
そして激情の赴くまま屋根裏から飛び降りた



「!?誰だっ!!」



驚きに声を荒げる石田屋
彼の下には真っ白な肩を晒した菊月がいて
怒りがまた湧き上がる

仕事も、依頼も、闇守も、全てどうでもいい
今や夢人は自分の意志で刀を握っていた

石田屋は
消す



「もう死ぬのに・・・・知る必要がありますか」



場違いなほど穏やかな笑みを浮かべて
夢人は刀を抜く
その眼光は鋭く、冷たい人斬りの眼だった

すべてが唐突すぎて・・・・
身動き一つとれなかった石田屋の腹部に鈍色の刀がめり込む



「ゆ・・・・・めと・・・・」



菊月の声ではっと我に返る
気がつけば腕の中には動かなくなった石田屋がいた

殺してしまったかもしれない・・・・・
ぼんやりとそんなことを思う
だが手には濡れた感覚がない
どうやら無意識的に峰を使っていたようだ

夢人は胸をなで下ろす
菊月との約束はどうにか守ることができた

刀を鞘に収め気絶した石田屋の身体を担ぎ上げた
そのまま菊月に背を向ける
今顔を見られたくはなかった
きっと・・・・同じ顔をしているはずだから
彼の家族を惨殺した・・・・あの時と



「・・・・・・ごめん・・・・・ね」



協力してくれてありがとう
そういうのも違う気がして夢人は謝罪の言葉を口にした
きっと謝罪も正解ではないのだろうけど・・・・・

無言で見送る菊月が背後で息をのむ気配がした
















「・・・・・ふ・・・・・・・じ・・・・・・・・?」





















今・・・・・今・・・・何て・・・・・・?



「不二・・・・周助・・・・・・・・・」
「・・・・・・英二」
「っ!!!!!」



夢人は思わず呼んでしまった
彼の
本当の名前を
彼から預けられた
大切な大切な名前を

そのまま何も言えず夢人は窓から外へ出た
一度も後ろを振り返ることなく









誰もいない深夜の森
気絶した石田屋を地面に下ろすと夢人は大きく息を吐く

気づかれてしまった
菊月は確かにその名を呼んだ


『不二周助』



苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら夢人は刀を再度抜いた
仕事はこなさなければ
考えるのはその後からでもできる
終わらせて早く・・・帰ろう

スッ・・・・・と刀を振り上げたとたん気絶していたはずの石田屋がくすくすと笑い出した



「っ!?」
「はははっ・・・・不二、まだ気がつかないのか?」
「どうして・・・・・その名前を」



不二の名を知っているのは手塚と菊月のだけのはずだ
ゆっくりと身体を起こした石田屋は服についた土を払いながら
さも当然だというように夢人を見た



「おもしろいことを聞くな。上方が闇守一の働き手の名前を知らないはずがないだろう?」
「かみ・・・・・かた・・・・・!?」
「あぁ」



それは闇守の頂点に立つ者
夢人はとてもではないが信じられなかった
そんな様子を見た石田屋はおかしくてたまらないとでも言うように笑いながら説明を続ける



「闇守は石田屋発展のために作られた組織なんだ。邪魔な商売敵は消してしまった方がいいからね」
「じゃあ・・・・・今の石田屋があるのは・・・・・」
「そう。祖父の代から依頼と銘打って邪魔者を消していったんだ。楽ではなかったよ」



やれやれと首を振る石田屋に罪悪の様子は全く見えない
つまり・・・・ずっと利用されていたのだ
血の海の向こうに人々の幸せがあるのではなく
ただ・・・石田屋の利益があるだけ

足下から何もかもが崩れていくようだった
もがき苦しみ悩んだ結果が
この男たった一人の・・・・石田屋だけの利益だったなんて



「お前の手並みを間近でみれて本当によかった。やはり鮮やかだな・・・
 だがなぜあの場で殺さなかった」
「・・・・・・・・・・・・・」
「夢人、人に情けをかけるな。お前に感情など必要ない。
 とにかく処分は後日下す、手塚の件も含めて・・・・な」



夢人はぐっと唇を噛みしめる
知られていた
それで尚泳がされていたのだ

もう残された時間はわずかだった
夢人にも菊月にも



「一つだけ・・・・聞いていいですか」
「ん?」
「菊月を・・・・・彼をどうなさるおつもりですか」
「あぁ・・・・・あれを愛しているのは本当だよ。闇守のことは話さないつもりだしな」
「そう・・・・・・ですか」



まずい
菊月は菊丸の生き残り
全員抹殺の命が下っているのにもかかわらず生き残っていると知られたら
菊月の命が危ない

知って知らずか、石田屋はこんな言葉を最後に残していった



「ついでに一ついいことを教えてやろう。菊丸一家の暗殺を依頼したのは・・・・私だ」



















守らなければ

天華に向かう中ずっとその思いが胸を占めていた

僕のせいで菊月が危険な目に遭おうとしている

それだけは絶対に避けなくてはならない

もう二度と

菊月を悲しませたくはなかった

月は黙ったまま僕を見つめる

行く先をすべて知っているかのように

〜仕事〜