幸せを手にしたはずだった
なのにどうして?
嬉しいはずなのに
全然嬉しくない
幸せだと感じられない
身を売る辛さから解放されて
ずっと望んでいたものを得たはずなのに
気づけばまた
彼のことを考えている
約束通り、翌日やってきた夢人
そのまま座敷に通したはいいが、全く会話が弾まずにいた
夢人が何も言わないのはいつものことだが
菊月は自分が身請けされること伝えるべきか否か、ずっと悩んでいるのだ
おかげで昨夜来ていた石田屋若旦那様の相手はほとんど出来ず
見かねた忍足から真面目に仕事をしろとお叱りを受けた程だ
どんな答えが欲しいのか
そんなこと菊月自身も分かっていない
ただ知って欲しかった
それだけ
彼に何を重ね、何を求めているのだろう
何度見ても飽くことのない、夢人の美しい顔からはやはり何も伺いとれない・・・・・?
どうしたのだろう?
夢人の顔色が悪い
元々色白な彼だが、明らかに具合が悪そうだった
「夢人・・・・?」
「・・・・・・・・え?・・・・あ、ごめん。何?」
「顔色悪いよ。・・・・何かあった?」
夢人は何も答えずに俯いてしまった
そして再び重い沈黙が二人を包み込む
彼が沈んでいる所を初めて見た菊月は驚いた反面、なんだか嬉しかった
何の感情も示してくれなかった最初に比べれば
今の夢人はいろいろなことを伝えてくれるようになったと思う
声を聞く限りでは具合が悪いわけではなさそうだ
ならば、何とかこの重苦しい空気を替えるために、身請けのことを話してしまおうか
今言っても、後で言っても事実には変わりない
出来るだけ笑顔を浮かべて、菊月は話し始める
「あのさ・・・俺、今度身請けされることに決まったんだ」
ちらりと夢人の方を伺うが、何の反応も返さない
聞いているのか分からなかったが、聞いて欲しい一心で菊月は話を続けた
「相手の方からはずっとお話しがあったんだけどさ・・・・
決心が付かなかったり、越前の身請けの話があったり、色々と忙しくて
お返事・・・・してなかったんだ」
「その・・・・・ことなんだけど」
夢人は辛そうに歪めた顔を上げて菊月を見る
出来るならば伝えたくない、とでも言いたげで・・・・・・・
そのこと、とはやはり身請けのことだろう
何か問題があるのだろうか?
まだこの話は忍足と菊月しか知らないはずなのだが・・・・
なんだか急に不安になってしまう
「僕の仕事のことは知っているね?」
「う・・ん」
「また暗殺の依頼が来ていたんだ・・・目標は」
『石田 』
口から出たのは身請けを申し出てくれたあの人の名前
菊月はただ素直に驚くだけだった
好きだと、一緒にいて欲しいと真剣に言ってくれた人だから
泣くとか、叫ぶとか
もっと他に感じることがあったかも知れないのに
あんなにいい人が・・・誰かに恨みを買うようなことをしたのだろうかと
そんなことを思ってしまう
よく考えてみると、あの人は最初から大切な『お客様』だった
それ以上にもそれ以下でもない
そこから思いが動くこともないと断言できる
それよりむしろ、夢人が辛そうに語ってくれることの方が菊月の胸を締め付けた
「ごめんね・・・・・僕は・・・・君の大切な人を」
「なんで・・・・謝るんだよ」
ひたすら謝る彼を菊月はそっと抱き締める
なぜかそうしなければならない気がしたのだ
夢人は優しい
だから人を斬るときも、今も、涙は出ていないが
心で泣いているのだと思う
夢人が人を斬るのは生きるため
菊月が身を売るのは生きるため
他に術を持たない二人が生きていくために選んだ道
それがどれだけ自分を傷つけると知っていても逃げ出すことは許されない
逆らうことは無へとつながる
存在する場は違うが
同じ籠の鳥なのだ
「夢人が望んだわけじゃないだろ?」
「違うんだ・・・・・君から幸せをまた奪う」
「何言ってんだよ・・・・俺は大丈夫だから」
ぎゅっと腕に力を込めると夢人もようやく菊月の背中に手を回してくれた
暖かい
同僚が言っていた夢のような人斬りの話
きっと夢人のことだといつの頃から菊月は気がついていた
皆は人斬りが残忍で無慈悲だと言っている
でもそれは真実を知らないから
幻の人斬りは温もりある優しくて、哀しい人でしかない
菊月が初めて心から愛しいと思えた人だ
夢人の髪が頬に触れる
気がつけばこんなにも近くにいた
ずっと求めていたもの
それから夢人はゆっくりと仕事の内容を話してくれた
時刻は明日の夕刻
若旦那が天華に入り座敷に通された後夢人が窓から侵入し依頼をこなす
「一つお願いがあるんだけど・・・・」
「僕に出来ることなら・・・何でもするよ」
「ここで・・・仕事はしないで」
血を見るのが怖い
何年経っても変わらない変われない
でも、そんな弱ささえ夢人なら受け止めてくれる気がする
現に、返事の代わりに夢人は菊月の頭を優しくなでた
初めて知った『好き』という気持ち
温かくて嬉しくて
少しだけ怖い
どうしたらいいのか分からないけれど
いつか伝えられるといいな
なんて思ってしまう
どうかこの幸せが
夢ではありませんように