また奪ってしまう
同じ方法で
同じ人間が
それが仕事でも
していいことじゃない
それが分かっているのに
僕は何も出来なかった
夕闇に包まれ鮮やかに、妖しく光り輝く色の街
連日降り続いた雪が積もり人々の行くてを少なからず阻む
しかし、悪天候をものともしない客のおかげで今日も吉原は賑わいを見せていた
笑いさざめく声の中、天華の店先に立ち止まり二階を見上げる剣客が一人
見上げる先は菊月という名の陰間がよく外の世界を眺めている場所だ
誰もいないと分かるとその剣客は小さくため息をついて店の引き戸を引く
その剣客の名前は夢人という
皆名前は知っているが顔を知らない
裏社会に生きる人間だ
夢人は菊月に越前の無事と自分の正体を伝えに来た
心配していた越前が無事であり長年の夢だった復讐も終わる
何の心残りもなく幸せに向かって歩みを進められればいい
夢人が願うのはそれだけだ
店の中に入ると愛想笑いを浮かべた店主忍足が出迎えた
「いらっしゃい・・・て、なんやあんたか」
「客に向かってあんたですか?」
「買う気ぃもないやつをここでは客と言わん。営業妨害や帰り」
「まだ買わないなんて一言も言ってませんけど」
にっこりと笑顔を浮かべ言いくるめてやると店主は眉間に思いっきりしわを寄せた
一瞬謝罪するべきかとも考えたが仕掛けてきたのはあちらだ
その必要もないだろう
深々と着いたため息とともに無理やり作った笑顔を張り付け忍足は接客をやり直す
「それでしたらお客様、誰をご所望でしょうか」
「菊月はいる?」
「申し訳ございません。他の方が御予約されていましたので」
さぁ帰れといわんばかりの態度
どうやら相当店主に嫌われてしまったようだ
まぁ好かれる理由もない、逆に嫌われた方が自然だろう
店先で倒れるわ、遊女を買う気もないのに訪れるわ
今までの経緯を考えれば無理もない
だがこちらもそう簡単に退くわけにはいかないのだ
「そうですか・・・彼着きだった新造の安否すら伝えられないんですね」
「っ!?」
流石にこれを無視することはできないだろう
菊月は越前を可愛がっていたし何より優しい彼だから心の底から心配しているはずだ
現に忍足が血相を変えて階段を駆け上がっていった
それから間を空けずに小気味よい足音が聞こえてくる
「夢人!!」
忍足が言っていたことは本当だったらしい
駆け寄ってきた菊月はいつか見た美しく着飾った姿だ
綺麗だと思った
同時に悲しくも思う
やはり住む世界が違うのだ
纏う色は『あか』なのに彼は夕暮れの中でこちらは漆黒の闇の中
そして闇は同じ色でさえ違うものへと変えてしまう
鮮やかな赤と
仄暗い紅に
「久しぶり。彼らは上手く逃げ切ったみたいだよ」
「本・・・当?」
「あぁ、もう心配はいらない」
「・・・・・・・よかったぁー」
菊月はへなへなとその場に座り込んでしまった
よほど心配していたのだろう
弟のように可愛がっていたし当然だ
「連絡は・・・取らない方がいいよね?」
「今はどこかに身を隠しているだろうし・・・でもしばらくしたらきっと便りが来るよ」
「そっか・・・なんか、色々ありがとな」
向けられた微笑みに心が軋んだ
違う
僕は君から全てを奪い、与えられるものを壊した
だからお礼を言われる事なんて一つもない
他の人のように笑顔を向けられる資格はないんだ
夢人が心の中で叫ぶ言葉は届かない
どんなに願っても、口に出さなければ伝わるわけがないのだ
分かっていたが
伝わって欲しかった
「ねぇ・・・菊月・・・」
「う?」
「僕は・・・僕の本当「菊月はん!石田様がお待ちどす」
「はーい!ごめん夢人、そういえば俺仕事中だった」
「あ・・・そう・・・だったね」
「本当にごめんな?明日また来て。そん時に聞くから」
「菊月っ!!」
すると、そこまで黙って聞いていた忍足が止めに入る
稼ぎ頭であろう菊月が勝手に客を決めているのだから店側としては大変な損失だ
普通はそんなわがままは通らないはずだが
「いーじゃん、最後くらい・・・・さ」
「・・・・分かった。なんとかするわ」
「ありがと・・・・・じゃ!またな」
意味が分からないうちに話が進み、忍足が折れるという形で決着がついたようだ
嵐のように話を終えると、来たときと同じように駆けていってしまう
伝えなければならないことの半分しか言えなかったが、また明日来いと言っていたし
ゆっくりと話せばいい
そう
まだ時間はある
なぜだろう
そう思うと焦燥を感じていた心が安らぐ
「行ってまうんやな」
菊月の後ろ姿を見送った忍足がポツリと呟いた
「身請けされるんですよね」
「・・・・・知ってたんか」
「はい。新造の子が教えてくれました」
そこで忍足はため息を一つ
どのような経緯で知り合ったかは分かるはずもないが、彼は随分と菊月を大切にしているように思えた
それは店主と商品の壁を越えているような
そんな気がしてしまう程に
「相手・・・・・は本当は教えたらあかんのやけど、石田屋って知ってるか」
「はい。・・・・といっても少しだけですが」
「あそこの若旦那や。随分前からずっと身請けしたいゆうててな」
石田屋は古くから続く老舗だ
売り上げは上々、評判もいい
嫁ぐなら絶好の相手だと思うのだが、忍足は乗り気ではないらしく
渋い顔をしている
相手を決めるのは当人といえども、最終決定権は店にあるのだから何も迷うことはない
「そら石田屋さんはええ人や。でも、そうしたら菊月は俺の目の届かんとこに行くってことや」
もう守ってやることができない
幸せになって欲しいと思うが手放したくないのが本音
身請けされるという事は今まで大切に守り抜いてきたものが手の届かない存在になるということだ
「なぜ僕にそんなこと教えてくれるのですか」
「さぁな。あんたなら何とかしてくれるとでも思ったんかな」
あまりにも悲しげな横顔に夢人はそれ以上聞くことはできなかった
なんとか・・・とは何だろう
何をすればいいのか夢人には分からない
そのまま店主に別れを告げて店を出る
あの店に長居は無用、あまり表の世界に顔を知られるわけにはいかないのだ
当たりはどんどん夕闇の中へと呑み込まれ、寒さが増した
どんよりと空を覆う雲は厚く、未明にはまた雪をちらつかせそうだ
早く帰ろう
帰りたいわけではないが、あそこ以外にいるべき場所が見つからない
あの場所で生まれ、あの場所で生きているのだからしかたのないことだが・・・
不意に、後ろから軽く肩をたたかれる
いつもなら背後に誰かが立てば気配を感じるのに、今日は考え事をしていたせいか気づくのが遅れたようだ
驚きを隠しつつ振り返れば、そこにはやたら愛想のいい同僚がいた
同じ方向から来たのであろう
そう言えば彼も天華に通い詰めていると聞いたことがある
苦手な人種のため関わり合いになりたくなかったが、相手は先輩
そう邪険にも出来ない
「よ!夢人。遊郭か?珍しいな」
「・・・・・何か」
「相変わらず愛想の欠片もねぇな。まぁいい、オマエ明日の任務見たか?」
「明日・・・・・いえ、まだ」
「そうか・・ここじゃあ詳しいことは言えないけどな」
耳元で小さくささやかれた名前に血の気が引いていくのを感じた
どうして
その言葉だけが頭にぽつりと浮かび上がる
『石田屋の若旦那だ』
それは菊月が嫁いでゆく家
一度目標にされたら逃げられない
また奪うのか
また苦しめるのか
傷つけて傷つけて
それでも尚強く生きていた菊月を
また不幸のどん底に突き落とさなければならない
どうして・・・僕が
どうして彼なんだ
夢人はただ絶句するしかなかった
爪が食い込むほど
強く手を握りしめる
決断しなければ
菊月も闇守も
全て裏切り進むことを
でもそれが最後だ
恨まれたままでいい
救いなど
必要ないのだから
今日ほど月を見たいと思った日はないのに
分厚い雲が全てを隠して
月どころか夜空さえ
見ることが出来なかった